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大人の作文

2002・夏の学校を終えて  ミタ

 もう木枯らしの吹く季節になってしまいました。夏の学校の喧騒も遠い昔のことのようです。無事終ったことが、今年の夏も今までの夏と同じような夏として忘れそうになるのを一つ一つの場面を振り返ることによって思い出している次第です。

 60数人の子供たちの参加があった今年の夏の学校は、緊張と不安で迎えました。施設が手狭なこと、スタッフが一週間を通じ自然体で対応できるか、全体の平和や調和を保持できるだろうか・・・というような不安です。それもこれも今では「老婆心」だったようです。学校OBやスタッフの成長と子供たちの柔軟性を今年の夏はあらためて認識できた学校だったと感じています。

 数年前の子供たちと最近のキララの子供たちの様子はちょっと違ってきているのではないか、という印象も感じています。畑での農作業や日常の掃除などを昔ほど嫌がらずにやる(勿論サボり家はいます)むしろ、積極的に身体を動かそうとしている、男の子も女の子も洗濯を手洗いで嬉々としてやっている。糠みそ作りで糠床をかき回している、そんな様子を見られるのは嬉しいことです。成長したスタッフや常連の子供たちのつくる雰囲気が全体をそうさせるのだと思います。

 「子供たちの故郷をつくる」ことが白州での私の活動の大きな動機だったと思っています。何故なら私たちの世代こそ「故郷」を喪失し旧い地域・家族共同体を拒否し自らの根を失った者としてこの30数年漂流し始めた最初の日本の群像ではないかと思えるからです。人間の「根」となり、「育まれ、飛躍の跳躍台となる、そして還る」=故郷。白州の自然や活動や人々との出会いが、子供たちの新しい故郷となる。そんな夢想がありました。私たちキララのスタッフに白州という地域への気まぐれではなく一過性ではなく利用主義ではない―消費するだけではない関わりが「子供たちの故郷」をつくる道だと、そのことをスタッフと子供たちの中に見つけた夏だったのではないでしょうか。幻影でないことを祈ります。

 夏の学校の直前に韓国のプルム農学校を訪ねました。農学校と地域と自然とが共存し発展し続けようとする人間の生き方を見てきました。40年の積み重ね=歴史を持つホンソンの営みは華美でなく贅沢でなく声高でもなく落ち着いて調和する、自然と村と「学校」と人々の暮らしと営みでした。白州は20数年の歴史があります。これからの20年の白州キララのモデルにすべきと感じました。

 夏の学校を終え辺見庸氏と坂本龍一氏の対談する本を読みました。9・11とそれに続くアメリカのアフガン爆撃によってこの世界の実相がはっきりとしてきたこと、この世界には命にしろ光りにしろ情報にしろ絶望的な不公正(「非対称性」という言葉が使われていますが)があり、この一年の世界の出来事はそれらを明らかにすると同時に、言葉も哲学も死滅した、というジャーナリストである辺見氏と芸術家の坂本氏の悲鳴とも聞こえる内容です。

 幾百万種の生物が生きて死んで行くように人も在るという風に達観できればよいのでしょうが、人間は別物という意識や制度や構造から自由ではありません。そして私たちを取り囲んでいた価値観のほとんどは欧米由来の価値観であると、改めて思い知らされます。人間であることがこれほど忌まわしい事態もかつてあったのかとも思う状況ですが、人間が別物であるならどのように別であるべきなのか、人間としての矜持と知恵を白州のキララの活動で示しながら生きてゆくことができればと思っています。