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大人の作文『真のおばさん』への道 リカ 「班名を決めよう!」 中学生女子班は、毎回キララに通ってくる常連の子のグループと、初めて来る子のグループ2つが合体した構成だった。だからはじめ中学生女子の構成を知ったとき、常連と・非常連で2つに分かれるのではないか、ということを心配した。だからまず班名を決めてしまおうと、私は提案した。 「おばさん班、でいいんじゃん?」命名されたのは「おばさん班」だった。「おばさん」とは、三十路目前のリーダーの私のことを指していもいるのだろう。とはいえ、小学校低学年の男の子たちにとっては中学生以上の女はみな一様に「おばさん」らしく、中学生女子も班名が決まる前から小さい子たちから「おばさん!!」と連呼されていた。自身で自覚してもいるのだろう。班名は「おばさん班」に決まった。 少女から「おばさん」へ。常連組が初めてキララに来た頃は、小鹿の「バンビ」のように畑をかけまわっていたのに、今となってはお尻が重くなって、何度も呼ばないと部屋から出てこない。反抗期なのか、白州のマンネリプログラムに飽きたのか、世の中に疲れたのか、大人の相手なんかするのはめんどくさいのか。「女の子は、走らなくなったら、そこで終わりだよ」、という、だれかが言っていた言葉を思い出した。 ケータイでつながる、私が中学生の頃とは全く違う世界を知っている今の中学生。どんな一週間になることやら。自分はとにかく、一緒に働いて、ごはんを食べて、風呂に入って、寝て、たくさん話そう。あとは、白州郷牧場の野菜出荷センター(かいこ部屋)につめている、バリバリのキャリア、ヒデ子さんをはじめとする村のおばさんたちの胸を借りるしかないか、と腹を決めた。 おばさん班の一週間は、班の子の一人が感想文に書いている通り、「とにかく疲れた〜」につきる。全くその通りの一週間だった。よく働き(働かされ?)、よくしゃべり、よく笑い、よく食べ、よく遊んだ、小さい子の面倒もよく見ていた(よく戦っていた)。 初日の夜の班別ミーティングでは初めての参加の子と、常連の子で組になり、「他己紹介」をした。メンバーは個性豊かで、Mのようなひょうきんなキャラクターの登場があり、心配していたように班が割れるようなことはなく、わいわい、楽しい雰囲気になった。 朝は必ず布団をたたむ。これだけはやかましく繰り返した。朝の作務は毎朝キュウリのハウスへ。大きなハウスが5棟も待っている。毎朝・毎夕収穫しても、キュウリの列片道だけで買い物かごがいっぱいになる。作務ではなるべくいろんな組み合わせで作業をするようにした。そして、私も作務では毎回違う子とペアになり、話をしながら作業した。朝ごはんを食べて、収穫の続きをするか、午前のプログラムに入る。草取り、花を植える、看板をつくるなど。 花壇づくりは「何でもっとちゃんと草取りしないのよ〜」といいながら、草ぼうぼうになった花壇の草をきれいにとってくれ、植え遅れていた花を植えてくれた。花壇は「白州園」と命名され、立派な看板と、古材のよさを活かした素敵なベンチをつくっていってくれた。(よく付き合ってくれて感謝してます。) 村のおばさんたちと働いたのはたった1度きりだった。大量の米ナスの袋詰めをした。「本物のおばさん」たちはとにかく元気。口も動くが手はもっと早く動く。とにかく腰が据わっている。皆、愛用のサブトンを付きのコンテナを持ち、大きなお尻がどんと上にのっている。仕事の段取りやビニール袋の上手な開き方、おいしいトマトの見分け方など、たくさんのことを教わった。「米ナスはトゲが強いから気をつけてね」「どこから来たの?」「白州は田舎でしょう?」矢継ぎ早に質問され、わいわいと仕事はすぐに片付き、おやつにトウモロコシをごちそうになった。あのバリバリさで平均年齢60代。横手のベストシックスティズ、恐るべし。 私が一番思い出に残っているのは班のみんなと川遊びに行ったことだ。8月4日、日中急に雨が降り出した。小さい子はすでに川へ行って、雨をものともせず遊んでいたが、送迎車を待っていたおばさん班だけ川に行きそびれた。8月6日午前中花壇の草取りを汗と土まみれになってやり終えて、暑くてどうしようもなくて、校長に、「私たち川にまだ行ってません!午前中めちゃめちゃ働いたんです!」と直訴した。許可がおり、おばさん班だけ、こっそりと目立たぬように、おにぎりをにぎってキュウリと味噌をもって、川へ行った。全員、小さい子並みにずぶぬれになって遊んだ。とてもとても気持ちよかった。「8人姉妹とお母さん」とSに言われ、「9人姉妹でしょ!」と言い返した。 それぞれ個人の違いを超えて、夏の学校でつきあった後、改めて「中学生って?」と考えてみると、「たわいない。単純。かわいい。こどものずるさももっている。たくましい。」大人社会が考えるほど、やわじゃない。大人たちは後ろめたいものがあるからなのか、へんにかわいいかわいいしすぎているのかもしれない。 下の子の面倒をみるとか、きれいな仕事をしようとか、ふとんをちゃんとたたもうとか、身の回りをきれいにするとか、この夏、それらについては少し「おねえさん」になっていた彼女たち。大人になっていくこととは、人に役立つことや喜ばれることをする中で、自らを認められ、認め、自分が社会的な存在であることを学んでいくことだと改めて思った。 「偽おばさん」から「おねえさん」への一歩を踏み出したところかな。「真のおばさん」道の道のりは、まだまだ長いのだ。 |
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